魔術より信仰

A. 牧師だから分かるのだ

 20年ほど前、高田馬場駅前で、ある新宗教の人たちが、「ご健康のために祈らせてください」と言いながら、通りすがりの人を引き止めては、額に手をかざして祈っていました。佐藤陽二牧師が呼び止められたとき、手をかざして祈る若者をじっと見つめ、「人のことはいいから、あなたは自分の悪い腰をどうにかしなさい・・・わたしは牧師だから分かるのだ」と佐藤牧師は言いました。
 クリスチャンが聖霊の働きで、人の健康状態を見抜く力が与えられるのは、魂の救いのために用いる賜物です。地方総督セルギウス・パウルスは、伝道者(バルナバとサウロ)を家に招き、イエス様のことを学ぼうとしていましたが、魔術師エリマは邪魔しようとしていました。

B.聖書より

魔術師エリマ―― 彼の名前は魔術師という意味である ―― は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。使徒言行録13章8節
当時は迷信深い時代であり、地方総督のような教養のある人までも、占いや未来を予言する魔術師を信じていました。総督が、伝道者(バルナバとサウロ)を家に招き、イエス様のことを学ぼうとしますが、魔術師エリマは、総督がキリスト教に回心すれば、自分の影響力のある地位が失われることを恐れ、邪魔をしようとします。魔術は、人が自己中心的な願いをかなえるために、神さまの意志を曲げようとする試みです。人はいつでも謙遜になり、自分の栄光ではなく、人々の魂の救いのために、与えられた賜物が用いられるようにすべきです。

C. バンクーバーオリンピック・スピードスケート選手―― チャド・ヘドリック

 スポーツ界で競技をする人たちは、良い結果を出したいと、ジンクス(縁起)を気にする人が多くいます。これは、良い成績を残すことを第一とするという意味では、魔術に頼る姿勢と同じです。自分の成績よりも大切なことのために競技をするとは、どういうことでしょうか。
 2010年バンクーバー冬季オリンピックで、スピードスケート米国代表のチャド・ヘドリック選手(32)は、ユタ州キャピタル教会に通うクリスチャンです。4年前のトリノオリンピックの頃は、メディアはヘドリック選手の派手な私生活を話題にしました。しかし、それまでの自分の生き方を見つめなおし、今や、毎週、教会に通い、今までよりもずっと快適な人生を送っています。ヘドリック選手の妻の実家は信仰あつい人たちで、愛で満ちている様子を見て、彼は自分も娘にもそうなって欲しいと願い、妻と一緒に神の愛に満ちた人生を築いています。
 人生を、イエス様に完全にお委ねしていない人たちに向けて、ヘドリック選手はこう語ります。「・・・この一年間、イエス様なしでは、私の人生は全く違った方向に向かっていたでしょう。そして、辛いときには、いつでも頼れる人が与えられてきました。人生に問題がないときは、簡単なことですが、辛いときは、人格が問われます。しかし、神さまにお委ねし、慰められるときは、生きてゆくのがかなり楽になります」と。「バンクーバーオリンピックに向けて、教会の人たちにどう祈って欲しいですか」という牧師の質問には、「自分と家族がバンクーバーで素晴らしい時を過ごし、生涯の良い思い出をつくれるように。自分の実力が発揮できるように。そして何よりも、かつての自分のように、世界を敵に回し、暗い人生をおくっている人々が、神に祝されている自分の中におられる神を見て、生き方を変え、人生を楽しみ、人生を愛せるようになり、それぞれの人生で特別なことを成し遂げられるように、と祈ってください」と答えました。
 チャド・ヘドリック選手は、2月17日(水)のスピードスケート男子1000mで、見事、銅メダルを獲得しました。

D.結び

 魔術は、人が自己中心的な願いをかなえるために、神さまの意志を曲げようとする試みです。いつでも謙遜になり、自分の栄光ではなく、人々の魂の救いのために、与えられた賜物が用いられるようにしましょう。御翼2010年3月号その1より


  
世界で活躍したクリスチャン HOME